浜松餃子で有名な浜松市。
今や予約困難店「むつ菊」さん。
行列必至の人気店「浅草軒分店」さん。
二店に共通しているのは・・・
「メニューが少ない」「メディアに出ない」こと。
お店が発信しているホームページやSNSもないので「口コミ」だけが頼りです。
今回は「浅草軒分店」さんをレポート。
2022年10月の或る土曜日の14時頃に来店しました。
JR東海道本線「弁天島」駅からも「舞阪漁港」からも徒歩圏内です。(だいたい15分位)
メイン道路(301号線)からは一本入ったところにお店はあります。
中華スープの丼鉢を連想させる 素敵な暖簾。入口に小さな椅子があるのですが、それ以外の人は立って待ちます。行列必至の人気店です!
お店で唯一の座敷席(4人掛けの小上がり)ファミリーに最適です。店内は、全22席。お客さんの回転も早いです。
テーブル席では、他のお客様と相席になることがよくあります。
メニューは「中華そば」(ラーメン)と餃子のみの潔いお店です!
餃子(13ケ)550円
餃子(9ケ)400円
中華そば(大盛)750円
中華そば:650円
<セットメニュー>
中華そば(大)+ 餃子(5ケ)1,000円
中華そば + 餃子(5ケ)900円
フルサイズのラーメンと餃子が、セットで 900円というのは嬉しいですね!(セットメニューがお得です)
醤油スープに細麺の相性もバッチリ!初めてなのに懐かしい味です。
650円のラーメン(普通盛)にも大きなチャーシューがのっていますよ。
浅草屋分店さんの中華そばは、あっさりスープに細麺。昔ながらの「中華そば」です。
ところで「ラーメン」と「支那そば」って違うの?という素朴な疑問・・・
支那そば、中華そば、ラーメンの違いは・・・
「やっぱりラーメンは中華そばだよな」「支那そばはあっさりした醤油で麺が縮れているものだよ」よくこのような会話を耳にします。確かにその人にとっての「中華そば」「支那そば」はそうなのかもしれません。「じゃあその違いは何なの?」という質問をよく受ける事があります。その答えは「同じ」なのです。中国の麺料理がラーメンへと変化していったのはご存じだと思いますが、明治初期の頃は「南京そば」と呼ばれていました。「南京」「支那」「中華」というのは全て中国を意味します。いわゆる中国の麺という意味なのです。その後、明治中期ごろは「支那そばや」や「柳麺」「老麺」などと呼ばれるようになり、戦後「支那」という言葉から、「中華」へと変化していったのです。では何故、地域によっては支那そばや中華そばと今でも呼ばれているのか? その答えはその地域でラーメンが普及した時代によるのです。例えば和歌山を例にとってみると、戦前に屋台は引かれていたのですが、和歌山でラーメン店が増えていったのが昭和20年の後半から30年代。その当時は前述どうり「中華そば」と呼ばれているのです。また、地域によっては九州のように昔は、「支那そば」と呼ばれていましたが、今ではラーメンと呼ばれている地域もあるのです。東京は一般的に支那そばと呼ばれていたのですが、戦後にオープンしたお店は中華そばと呼ばれています。(春木屋など)同じ地域でも複数の呼ばれ方をしているのですが、そこにはオープンした時代によって変わっているのです。そして「ラーメン」という言葉は、邪馬台国以上に説があり、今でもその論争が続いているのですが、昔は「柳麺」「老麺」「らぁめん」などと書かれ、カタカナで「ラーメン」と呼ばれるようになったのは昭和33年に発売された世界初の即席麺「チキンラーメン(日清食品)」の誕生後です。(横浜ラーメン博物館さまより引用)
「呼び方」の違いは「時代」の違いなのですね。
相方は「餃子」のみ(9ケ:400円)400円って・・・昭和価格です。
因みに13ケでも550円と、かなりお値打ち価格です。
少し厚めの皮はカリカリに焼かれています。昔ながらの「THE 餃子」という風貌。
ぎっしり詰まった餡が嬉しい!
お店の前に駐車スペースがありますが、線が引いてないので、来店したお客さんのテクニック次第で3台〜5台程停められると思います。